来歴
マクシミリアン・ヴァン・ハッテスは1890年代後半から1920年代前半に活躍したオーストリアの政治家、外交官。駐イギリス大使、駐ドイツ大使を経て1891年に帝国議会議員に選ばれた。第一次世界大戦中は国内融和を訴え所謂ドナウ連邦派として活動した。
オーストリアがイタリア等と停戦し第一次世界大戦から離脱した後は各民族の独立運動を抑えたい国王や政府中枢の思惑があったため戦前よりドナウ連邦主義者の代表であったハッテスに首相としての白羽の矢が立った。
首相就任後は「民族連邦内閣」を掲げオーストリア人、ハンガリー人、チェコ人、スロバキア人、ポーランド人、ウクライナ人、スロベニア人、クロアチア人からなる内閣を組閣し、現在のオーストリア・ドナウ帝国連邦の連邦制度を作り上げた。
1925年5月18日に首相を辞任し、同年8月に行われた議会選挙に出馬せず政界から引退するとそこから1年程度で病死した。
現在でもオーストリア・ドナウ国内においては「現代ドナウ建国の父」と呼ばれ非常に高い評価を受けている。
息子であるルヴェルアレン・ヴォン・ハッテスは父の死後キリスト教立憲国民党の国会議員として活躍した。
エピソード
タバコ嫌いで有名であり、外国の要人との対談において決して相手にタバコを吸わせなかった。
名言
「多民族にドナウ連邦を。それはその庇護下の全ての民族を救うだろう。」