概要
武田元秀は日本王国の初代国老や参議、評議元老、枢密元老などを務めた祿遃(ろくがん)中期〜武厳(ぶごん)後期の大名、武士、政治家。
経歴
武田元秀は1719年、若狭武田氏当主武田知秀の長男として生まれた。幼名は望一丸(もちひとまる)。1732年、13歳で元服し名を元秀に改めた。
跡継ぎ時代の元秀は和歌や琴の演奏に没頭し武芸は余り好まなかった。その為時に父より武芸に励むよう諭されたりもした。
和歌や琴の腕は非常に優れていたため、新四十八国和歌大全では29首が選ばれている。
1751年、32歳の時に父が死去し若狭武田氏当主となった。その後議会開設運動に対しては中立の立場を取りつつも自らの領内に若狭武田領民会という地方議会の先駆けを設置するなど議会開設に対し比較的好意的であった。その為1782年に国老が設置されると初代国老に抜擢される運びとなった。
一方本人は余り乗り気でなく1度辞退したものの朝倉家重臣友池惇全(ともいけじゅんぜん)の説得に応じ国老就任を受け入れた。
親族
武田友秀(父親。若狭武田家当主)
武田家秀(弟。農政長官、漁業長官、北海道開拓全権長官などを歴任)
武田秀康(弟。北陸郵便公社社長、広文庫社長。)
武田信秀(長男。若狭武田家当主。欧州外務卿、文部卿、北方国防卿などを歴任)
エピソード
甘党でありまだ当時珍しかったチョコレートを好んで食べていたらしい。一方下戸でさけ1杯で酔い潰れてしまうこともあった。