最終更新: kagatosa27 2020年06月09日(火) 22:59:49履歴
林文三郎(はやしふみさぶろう)は日本連邦の陸軍人、理論家。国内の要塞化を軸とした国防論である列島要塞論を起草し生前没後含め多くの軍人に影響を与えた。
人物名 | |
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出生 | 1740年6月2日 |
出生地 | 播磨国明石 |
没年 | 1801年10月14日 |
没年齢 | 61 |
性別 | 男 |
学歴 | 陸軍士官学校 |
職業 | 陸軍軍人 |
称号 | 金鶏勲章 |
1740年に播磨国明石(今の兵庫県明石市)に生まれる。父は浪人であったため幼い頃より厳しい訓練を受けたという。1757年、17歳で赤松家護衛隊に入隊する。1763年には護衛隊のトップである護衛隊総締に就任した。この昇進の速さは異常であった。1780年、国内の治安悪化に際して王府は100年振りに王国軍の招集をかけた。その時林は護衛隊総締の役を辞して王国軍に馳せ参じたのだった。1782年に王国軍が陸軍に改められ近代陸軍整備へと進む中で林は国内の防衛に徹し西欧諸国の侵略に備えるべきだとし陸軍廣島第一師団長に就任すると特にその持論を活発に訴えた。
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